是々非々~Fair and Unbiased~

色んな事を書きます

終戦記念日

今日は8月15日。終戦記念日である。

 

戦争は権力に群がる者たちにとっては金儲けの娯楽である。

 

誰しも戦争に反対のはずである。

 

しかし、現在も世界中のあちらこちらで戦争は起こっている。

 

日本も戦争に巻き込まれないとも限らない。

 

日本が戦争に巻き込まれるかもしれない…

 

その時に「戦争を肯定し合理化する者」が出て来るだろう。

 

その者達が大きな影響力を持った時、抗う術はなくなってしまうと思うが、

 

私達庶民は決して戦争を肯定してそれを仕掛けてはいけない

 

ということを肝に銘じておかねばならない。

 

 

 

 

SNSの危険性について

SNSの危険性において「リア充アピールするほど鬱になる傾向がある」など、FacebookInstagramの危険性ばかり言及されている印象。実はTwitterの危険性については現実世界でもネット上でも余り表立って言及されていないように思う。


キラキラリア充写真を載せてアピールしたりマウントを取っているのはTwitter民も同じだし、何より「人に対して無礼極まりない言葉、人を自殺まで追い込む酷い言葉や意見が平気で罷り通る」「あらゆる負のオーラに呑み込まれる」という点ではTwitterの方がずっと危険なツールなのだよ。

Twitterはメディア等の世論操作ツールでもあるので、殊更に守られて危険性が可視化しにくい。世論を操作したい・多数派に付いて安心したい・正義の人になりたい等の思惑にどっぷり浸かっていくカルト宗教みたいになっていて危険だと感じるのである。

SNSで自分語りが大好きな人

私は不特定多数に向けて自分語りをすることは有り得ないのだけど、自分について延々と語っている人達を見ていると気持ちよさそうなのだよね。自分の生まれ育ち、学歴職歴、得意分野を自慢するのは勿論のこと、自分に関する不幸な出来事をこれでもか!という感じで語る人が多いこと。会社の残業自慢やブラック自慢と根源的には一緒で、「こんな不幸属性を持ってる皆と違う私」をアピールしてそれを認知して貰いたいのだろうね。

 

SNSは…特にTwitterは自己アピールするには打ってつけのツールである。そこで気を付けて欲しいことがある。Twitterで個人情報(私生活)を切り売りする形で自分語りを延々と垂れ流す人に、他人の個人情報も罪悪感を持つことなく垂れ流すことが多い。そういうアカウントを沢山見てきている。Twitterで何を書いても個人の自由だが、自分の情報を危機感なく発信する人間は、他人の情報も危機感なく発信することが多いので、深く関わらない方が良いね。

長年Twitterに依存している人達

Twitterに長年入り浸っている人達は、Twitterの中での流行や権威に乗っかるだけの思考停止を繰り返しているという側面が強い。メディアに乗せられて動員されて作られた「敵」に攻撃を一致団結するというのは、戦前のポピュリズム衆愚政治、メディアの洗脳を彷彿とさせる。人間はどこまでもその時の流行や権威に弱い生き物だ。


バズっているツイートを見ても、その多くは的外れのシニシズムが幅を利かせているだけで、これが流行すると問題を具体的に考える力が失われ、メディアの影響力が更に強くなり、ファシズム共産主義がメディアの影響力を使い、大衆を扇動するようになり、その結果として戦争に繋がる可能性がないとはいえない。実際にTwitter上で何かが問題になると、それに対して、罵倒や中傷や攻撃以外の反応が出来ない人間が増えた。穏やかにツイートしていた人間が日に日に秘めていたであろう負の感情が先鋭化して攻撃的になっていく様は沢山見ている。

 

Twitterの無責任な冷笑、無責任な嘲笑、無責任な善意があらゆる領域に無神経に氾濫した結果、戦時中の言論統制のような相互監視の体制が自由なツールによって出現しつつあるというのは本当に危険なことなのだよ。

 

外出先での人の行動を盗撮した画像や動画ツイートが何千何万とリツイートされる、そして盗撮ツイートを肯定している人間が我が物顔で正義を振りかざして社会問題を語る。批判をしようものならその意見を取り上げて集団でリンチにするような傾向がリツイート、まとめブログ、Togetterによって形成されてしまう。正しいことを書こうが賛否両論にされて問題の深刻さが共有されない。

 

無意識・無自覚・無責任な冷笑、中傷、暴力の流行が、確実にネットの一部界隈で拡がっていることは残念ながら事実。Twitterは無駄な憎しみを生んでしまう側面が強い。怒りや嫉妬、心の中に秘めている負の感情が先鋭化してしまう。個人の問題でもあるけれど、一片の曇りもない気持ちで他人に敬意を示して褒めること、感謝の気持ちを表せる人間が何人居るか?という話だよ。陰湿かつ攻撃的な連中、根拠なき自慢と自己顕示欲の塊な連中。このような狂人と関わりたくないなら、自分の個人情報を晒すものではないのだよ。キャラクターを擬態して丁度良いと思っている。交流をメインにしないこと。交流するなら厳選に厳選を重ねることだ。

アルファーツイッタラーの正体

私はTwitterで各々のキャラ設定を変えて複数のアカウントを持っている。自分の本当の素性は明かしていない。明かしているのは性別だけ。基本的に身内と親しい友人しか信用していない。

 

先月削除したアカウントは5桁のフォロワーがいた。実験として攻撃的でインパクトのあるツイートをし続けた。炎上した。フォロワーが爆増した。フォロワー=銃口でもあるので信者として囲い込むこともなければ、群れることもしない。目標のフォロワー数に達したのでサクッとアカウントを削除した。

 

フォロワーが5桁になると色々と見えてきた。Twitterで大きな顔している人間の殆どは現実では何の取り柄もない弱い人間。Twitterと現実の姿が剥離している。本当に精神的に強く成熟した人間はネット上で群れたり信者を囲い込むことはしない。精神が弱く実力がないのに自己顕示欲だけが強い人間が「かりそめの力」を手に入れて化け物として暗黒進化したのがアルファーツイッタラーである。

Twitterに「有益な情報」「人との繋がり」を求めないこと。

Twitterの初期の頃は少ないながらも専門的な情報を発信する人がいたのではないかと推察している。そう言う人達は自力で得た知識や趣味を本当に大事にしてるから、軽薄なノリから距離を置いてる内に更新しなくなってアカウント放置したままだったり、アカウントを削除していたりする。ツイッター内で検索して有益な情報が出ても、数年前の放置アカウントの発信だったってことは度々ある。

 

座学と経験、自分で積極的に深く学んでいないと、相手の深さが理解できない世界は沢山あるのだけど、人格・品位・能力が伴わず、最終的に誰もが疲労した敗者になるような競争原理が主流になってしまったから、趣味に専門的かつ精神的なものを求めるのであれば、その場所から距離を取って「孤独」を選択する時代なのだよね。

 

「孤独」なることを選択して何年か趣味や勉強に打ちこむことによって、どこかで深い人の繋がりや縁が生まれることがある。不思議だよね。お互いに価値観も趣味も生き方も違うのに、お互いにリスペクトして無理なく信頼関係を築くことができる。本当に有益な情報を得ること、深い人との繋がりを持ちたいのであれば、「孤独」を選択して研鑽を積むことを避けて通ることはできない。

 

Twitterは人間観察に留めておいて現実に生きることだよ。私も観察目的で複数のアカウントを駆使してTwitterを3年間やっているが、もうそろそろ潮時だと思っているので削除する方向で動いている。